「ちゃんとやってきたはずなのに、
なぜかずっと、どこか苦しい」
整体や講座の現場で、
私はこの言葉を何度も聞いてきました。
大きな不満があるわけじゃない。
仕事も家庭も、それなりに回っている。
周りから見れば、問題はなさそう。
でも、夜になるとふと、
「このままでいいのかな」
そんな思いがよぎってしまう。
もし、あなたにも似た感覚があるとしたら。
それは、あなたが弱いからでも、
努力が足りないからでもありません。
もしかしたら、
ずっと「教えられてきた生き方」を、
疑わずに背負い続けてきただけ
なのかもしれません。
私たちは、いつの間にか「生き方」を仕込まれている
子どもの頃から、
「いい子でいなさい」
「ちゃんとやりなさい」
「我慢できる人が立派」
そんな言葉の中で育ってきました。
それ自体が悪いわけではありません。
ただ、気づかないうちに
「従うことが正解」
という型が、身体と心に染み込んでしまうことがあります。
・言われたことをこなす
・波風を立てない
・不安でも、とりあえず我慢する
それが当たり前になると、
「自分はどうしたいか」を感じる回路が、
少しずつ鈍くなっていきます。
そして大人になってから、
理由のはっきりしない息苦しさとして、
身体に、人生に、現れてくるのです。
判断が揺れるとき、人は「頭」で何とかしようとする
迷ったとき、私たちはよくこう考えます。
「もっと考えよう」
「前向きになろう」
「正解を探そう」
でも、20年以上身体と向き合ってきて、
私が強く感じていることがあります。
判断が乱れているとき、
問題は思考よりも先に、身体にある
ということです。
呼吸が浅い。
足裏が地面を感じていない。
そして何より、
腰(骨盤)が落ちている。
そんな状態のとき、人は無意識に
「不安」を実際よりも大きく見積もります。
すると、本当は望んでいないのに、
無難な方、守りの選択を選んでしまう。
「後悔しないように」と思っているのに、
気づけば、自分を置き去りにした選択に
なってしまうのです。
人は、死ぬときに「やらなかったこと」を悔やむ
人生の終わりに近づいた人たちが、
よく口にする後悔があります。
・自分に正直に生きればよかった
・あんなに一生懸命働かなくてもよかった
・自分をもっと幸せにしてあげればよかった
ここに出てくるのは、
「失敗したこと」ではありません。
「我慢して、選ばなかったこと」
です。
だから私は、
人生の選択に迷ったとき、
こんな問いを大切にしています。
「この選択、
あとで自分に説明できるかな?」
正解かどうかよりも、
人にどう見られるかよりも、
自分が納得できるかどうか。
それが、後悔を減らす
いちばん静かな基準だと思うのです。
身体を整えることは、人生の時間を取り戻すこと
人生の正体は、「時間」です。
お金はあとから増やせても、
時間だけは、戻ってきません。
だから私は、
経済的な余裕の本当の意味は
贅沢をすることではなく、
「自分が納得できることに
時間を使える状態をつくること」
だと思っています。
そのためには、まず
物理的に「自分軸」を
取り戻す必要があります。
私が「立腰(腰を立てる)」を
大切にしているのは、
それが単なる姿勢の話ではなく、
「人生の主導権を、
自分の手に戻すための土台」
だからです。
腰が立ち、
身体が本来の配置に戻ると、
判断は「速く」なるのではありません。
驚くほど、
静かになります。
選んだあとにザワザワしない。
「これでいこう」と、腹に落ちる。
それは、気合や
ポジティブ思考の結果ではなく、
身体が安心したときに
自然に起きる変化なのです。
最後に
「後悔しない人生を生きよう」と、
力まなくて大丈夫です。
がんばらなくていい。
急がなくていい。
まずは、
丸まった背中をほどいて、
静かに腰を立ててみる。
身体を本来の場所に戻せば、
答えは、向こうからやってきます。
あなたの時間は、あなたのものです。
その大切な時間を、
あなたが心から「納得」できることに
使えるように。
私は、いつもここで
静かに応援しています。


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